私が予防歯科に取り組んだワケ
第1回 私が予防歯科に取り組んだワケ
今回からの3回シリーズは、私がなぜ予防歯科に積極的に
取り組むようになったのか、その理由を詳しくお話しようと思います。
題して「私が予防歯科に取り組んだワケ」
その①「歯科医師免許はもらったものの・・・」
昭和62年5月9日、歯科医師国家試験の発表があり、めでたく合格。
晴れて歯科医師になることが、できました。
しかし、それはただ「私にお会いした全ての患者様を、幸せにするぞ」
との情熱があるだけ。歯科医師としては、かけ出し。
大学での臨床実習では、看護士さんの中で、人気投票ナンバー1(?)の、私でさえ、
実際の経験不足は、いかんともしがたいものがありました。
気持ちだけが空回りし、いつも冷や汗の連続でした。
そして、私が勤務した大型診療所は、競争社会。
強いもの、できるドクターのみが生き残る、焼肉定食、イヤ、弱肉強食の世界。
(一年目の新米ドクターは、昼休み、他のドクターのため、
よく焼肉定食を買いに走っていたのをふいに思い出しました。)
そんな新米医師の私を励まし、勇気づけてくれた人。私はこの人のおかげで、
自分に自信の持てる医師になったといっても、過言ではありません。
また、この歯科医院では、患者様1人につき1人のドクターが、担当します。
複数のドクターが、患者様を診療するという事はありません。
それは担当医になることで、その人をより深く知ることができるためです。
予防歯科では、定期的に通う患者様が多数お見えになります。
また、痛みを伴う治療をする必要がないため、自然と笑顔があふれて
楽しい会話がはずみます。
予防歯科を通じ、患者様自身を知ることの大切さを学びました。
第2回 私が予防歯科に取り組んだワケ
今回も日引き続き、なぜ私が、予防歯科に真剣に取り組むようになったのか、
さらに詳しくお話させて頂きます。
「私が予防歯科に取り組んだワケ」
その②「初めて歯科医師として、私を認めてくれた人」
しかし新米ドクターは、医院での信頼感がないため、小さな虫歯や、被せのやり替えなど、
本当に簡単な治療を担当する事が、ほとんどです。
歯周病などの、お口全体の治療が必要な患者様を、診察させて頂く機会は、
あまりありません。
紹介(指名)以外は。
その人は、わざわざ私と指名して下さいました。
高い志と夢しかない私はまず、歯ブラシ指導とお口のクリーニングからはじめました。
その人は、家では歯ブラシ2本と歯間ブラシの、3本を使い分けてくれるほど、熱心でした。
そのため、みるみるうちに、歯ぐきの状態は良くなりました。
同時に私は、その人の期待に答えるべく、多くの本を読み、講習会に参加し、
時には、上の先生の指示をあおぎ、ほぼ1年がかりで、
お口全体の治療をさせて頂きました。
私は多くの事を卒後1年で、その人から学ばせて頂きました。
この間、心から、感謝して頂きました。
その言葉一つ一つが、私の自信になりました。
私を歯科医師として認めてくれたその人は、私の母です。
母の献身的な態度がなければ、決して卒後1年足らずでは、
歯科医師としての喜びや楽しみを知り、
予防歯科の大切さを学ぶことは出来なかったと思います。
歯科医師のスタートで、予防歯科を学ぶことが出来たことは、
本当に有意義でした。
予防歯科を通じ、歯科医師としてのやりがいを感じることが出来ました。
第3回 私が予防歯科に取り組んだワケ
今回は、シリーズの最終章です。
「私が予防歯科に取り組んだワケ」
その③「愛する母からの学び」
私の母は、まめに歯が悪くなれば、近くの歯医者さんに行って、
治療を受けていました。そのため、お口の中はかぶせや詰め物でいっぱいでした。
また、かぶせなどは全て、歯を大切にしたいと考え、自費治療を受けていました。
もちろん、家では毎日歯みがきを、きちんとしていました。
にも関わらず、歯はどんどん悪くなっていきました。
新米の私が、治療するまでは。
誤解しないでくださいね。決して私は、腕がイイと自慢しているのではありません。
実際、歯科医師1年目。高度な治療など、できる訳ありません。
私は母を通じ、いかに予防歯科が大切であるか、治療をすればする程悪くなるか、
身を持って学ばせて頂きました。
残念ながら、私の一番の理解者であり、教師でもあった、
私の愛する母はもう、この世にはいません。
しかし、母から学んだことを自分なりに理解し、今まで、いろんな事を実行してきました。
具体的には、医院をリニューアルし、私と患者様、
そして、チームメンバー全てが満足し、幸せになる医院作りをしてきました。
私が目指した、理想の歯科医院は、感謝の言葉があふれる歯科医院
そのため、予防サロンもオープンしました。
このサロンに来て頂きたい人、それは子育てから離れ、
これから、第2の豊かな人生を歩もうとする女性。
私の愛する母にこそ、予防サロンを利用してほしかったのです。
豊かで実りある人生を、過ごして頂きたかったのです。
その思いを胸に私は、今も、あなたに愛され続ける
理想の歯科医院作りを進めています。
予防歯科を通じ、理想の歯科医院像が明確になりました。