[’08/7/13] 有難い出来事
土曜日の朝礼での、出来事。
チームメンバーが、一人ずつコメントするコーナーがあります。
その場で、私の信頼するメンバーの方から、
「先日の先生の、私への言い方がきつかった。
やりたくない訳でもないのに、
やる気がないと、決め付けられたような言い方だった。
怒っているようだった」
「あれでは、誰もやろうと思わなくなる」、と。
私自身は、決して怒って感情的に言ってるつもりは、なかったのです。
しかし、彼女にとっては、そう感じたのでしょう。
これは明らかに、私の力不足。
リーダーシップ能力の欠如。
「これをやれば、彼女は必ず伸びる」
「今こそ、そのタイミングだ」という強い思いが、
ついつい、きつい言い方になってしまったのでしょう。
本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ここで学んだこと。
“指導”と“育成”の違い。
私は、人を育てたい。
自らの強い意志で、自分の未来を切り開く、自立型人間を育成したい。
そう、心から思っています。
しかし実際は、育成ではなく、厳しく指導していたのです。
人の立場ではなく、自分の立場で、
もしくは、その時の気分で発言、行動していたのでしょう。
たとえ私の言っていることが正しいことであれ、
それでは、聞いてもらえないでしょう。
言い方を変えれば、人は正しいことだからやるのではない、ということ。
やるやらないは、本人が決めること。
やりたいことだから、やるのです。
私がしなければならなかったことは、その人を「やる気にさせる」助言なのです。
やりたい、やってみたいと思わせる、何かが足りなかったのです。
その何かとは。
ズバリ、信頼関係。
失われた信頼関係を取り戻すのは、並大抵では出来ません。
やることは、ただ一つ。
自分自身に問題があったことを、素直に認め謝罪する。
そして、これを自己成長の機会と捉え、
相手の立場に立った行動、発言をする。
つまりは、成長した自分を見せる。
言い訳することなく、この件を通じ、
成長した姿を見てもらいたいと思います。
人の育成は、決して指導することではない、教えることではない。
彼女から、学びました。
<さらに人材育成に取り組む 寄田 幸司>