院長ブログ

[’09/8/20] 思いを形にする(46)  夢の実現

この「I have a dream.」には、続きがあります。
私が共通一次試験でうまくいかず(これが真の実力)、しかし貝谷先生
「特別授業」を受け、こんな私でもまだまだやれることはある、
そう思い直した直後の3年9組での、運命的出来事

この出来事は、私の人生を大きく変えることになりました。
そう、このコラムを読んでいるあなたに、私が語りかけることが
出来るのも、この出来事があればこそ。

人は、一瞬で変わる
人には、運命的な出会いや出来事がある。
前向きに考えれば、必ず道は開ける

そう、確信出来るようになりました。
その、運命的な出来事とは。
ここからは、以前私が書いた自叙伝
「理想の自分を求めて 立身編」からの引用です。

運命の日を迎える前の二日間、私は大学入試一次試験に挑みました。
前年より、大学受験の制度が大きく変わっていました。

共通一次試験(今の共通テストとは全く違います)という、
国公立共通テスト(本番)の志望校が、その試験の結果により、
ほとんど決められてしまうのです。

私の共通一次試験の成績は、予想に反してかなり悪いものでした。
自己採点により、これが判明したのが、1月14日のお昼でした。
私の第一志望の国立大学工学部建築学科は、まず不可能という結果でした。
私はそれからの記憶は、定かではありません。

気付いた時には、私の手の中にはなぜか岡山大学歯科部の願書がありました。
あなたは「そんなアホな~」と、思うかも知れませんが、事実です。
繰り返します。
その間の記憶が、全く飛んでしまったのです。

実は私の運命を変えたこの出来事も、私の意志ではありませんでした。
と、言いますか、あの時の私には、
自分で判断し、行動する勇気と気力が全くありませんでした。
それでは、ここでその願書を私に渡したという同級生の手紙をお読み下さい。

「ヨリタマニアの皆様、はじめまして、山田豊和といいます。
私は寄田君の中学校、高校時代の同級生で、高校3年生の時は3年9組で同じクラスでした。
私はその後、大阪大学歯科部を優秀な成績で卒業し、現在堺市にて歯科医院を開業しています。
自分で言うのも何ですが、結構ハヤッテいます。ハッハッハッ。

実はもう25年も前の話なので、詳しくは憶えていません。
まあ、私には大したことではありませんので。
あ~確かにあの時、寄田君に岡山大学歯学部の願書を渡したのは私です。
そうです、あの願書はもう私には必要ないと思ったので。

何故って?イヤ~共通一次試験の結果が良かったので、
ワンランク上の大学を受けることにしました。

放課後、教室を出ようとした私の前に、偶然ポッカリと大きな口を開け、
窓越しに一人たたずむ、親友の寄田君がいました。

声をかける雰囲気ではなかったので、たまたま持っていた願書をその口、いや、
間違いました、その手に渡しました。
もちろん、励ましの言葉も添えました。

だって親友ですから。え~なんだっけなぁ~
『明日の来ない今日はない、今を精一杯生きることが大切だぞ』
こんな感じでしょうか。

今思えば素直な寄田君は、私のあの言葉をワラをもすがる思いで信じていたのでしょう。
根がマジメですから。
え~最後に歯でお悩みの方は親切丁寧、そして親友思いの堺の山田歯科へ
是非お越し下さい(チョット遠いですが)」

それがどうもあの空白の二時間の真相のようです。
ですから今でもあのエリート歯科医師の山田君には頭が上がりません。
我に返った私の手には、しっかり夢の片道切符(願書)が握りしめられていました。
そして私はその足で職員室に向かいました。

そして吹っ切れた気持ちで、
「先生、岡山大学を受けようと思います。どうでしょうか?」
担任の貝谷(カイタニ)先生も「そうか、一次試験の成績はあまり良くなかったみたいだな。
しかし、岡山大学なら合格ラインだ。先生も応援するぞ」。

そう力強く言ってくれたのを、はっきり憶えています
(その言葉が私を後押ししてくれました)
そして納得の上で受験することになりました(ある一つの行き違いを除いて)
それは小さな行き違いでしたが、将来を考えれば全く違う人生が待っていました。

それは歯学部と、工学部建築学科の違いです
(先生はもちろん工学部を受けると信じていました)
私はこれは何かの縁、神様のおぼし召しかと思い、乗りかけた舟、
素直に歯学部を受験しました。

これは誠に私の優柔不断さ、イイかげんさ、行き当たりバッタリ、
良く言えば臨機応変、変化自在とでも言いましょうか。
あまり深く考えない得な性格(?)が成せるワザかもしれません。

合格後、貝谷先生からお祝いの言葉がありました。
「成功する人はどんな分野でも成功する。
私は一年前から責任感があり、他人の痛みや苦しみが分かる、
君は歯科医師に向いていると思っていたよ!」と。

それが、今診療室であなたに自信たっぷりにお話をさせて頂いている私の
25年前の1月14日の出来事です。

イタズラ好きの神様のお陰で、今の私があります。
人生とは、山あり谷あり
しかし山を越えるのも、谷を渡るのも全て自分なのです。

<今はなだらかに続く上り坂を歩きたい  寄田幸司>

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