[’06/8/20〕 対談
(株)経営戦略研究所 岩渕龍正さんと、対談CDの収録を行ないました。
場所は、東京港区六本木、東京全日空ホテルです。収録時間は約3時間。
「私の対談CDなんて、誰が聞くの?」と思いながらも、
真剣に私の熱い思いを語りました。
例えば岩渕さんからの質問事項は…。
ヨリタ歯科クリニックがどのようにして今のようになったかについて
・ヨリタ歯科のスタッフが輝いているのは何故か?
・院長としてスタッフが輝くためにどのようなことをしているのか?
・ヨリタ歯科に人が集まるのは何故か
・寄田先生がそのように考え方が変わったのは何故か?
・寄田先生はいつ、文章を書いたりしているのか?
・それだと寝る時間がなくなってしまうが寝る時間はどうしてるのか?
・ヨリタ歯科はスタッフの労働時間も長いし、決して労働条件が言い訳ではないのに
あんなにスタッフが頑張ってくれるのは何故なのか?
・ヨリタ歯科のスタッフの勤続年数が長いのは何でなんでしょうか?昔から長かったのですか?
・ヨリタ歯科のスタッフの皆さんは院長のぶれない軸に共感している部分も多いと思うのですが、
寄田先生のぶれない軸とは何でしょうか?それはどのようにして作られていったのでしょうか?
・「ヨリタ歯科らしさ」という言葉が既にスタッフの中でも使われていますが、
「ヨリタ歯科らしさ」とは寄田先生はどのようなものだとお考えですか?
・また、その「ヨリタ歯科らしさ」はどのようなプロセスで作られていったのでしょうか?
最初のきっかけとなったのはどのようなことだったのですか?
・「ヨリタ歯科らしさ」も当初はなかなか、スタッフに受け入れられたわけではなかったように思うのですが、
それがどのようにして受け入れられ、定着して行ったのでしょうか?
・ヨリタ歯科クリニックさんの業績がこの2年ぐらいの間に倍以上に増えてきたのは何故なんでしょうか?
大きかった要因として寄田先生が考えられるのは何ですか?
・ヨリタ歯科クリニックさんでは待合室から診察室の中が良く見えますが、これはどうしてなんですか?
どのような効果があるとヨリタ先生はお考えですか?
・ヨリタ歯科クリニックさんでは患者様を導入して、エプロンをかけるところまでも終始、笑顔で、
その後の患者様とのコミュニケーションもとてもスムーズですが、
昔からそうだったわけではないと思うのですが、
寄田先生はどのようにして今のような状態まで持って行ったのですか?
・ヨリタ歯科クリニックを昔の状態から変革していくときに、
一番最初に取り組んだのはどのようなことでしたか?次に取り組んだのはどのようなことでしたか?
・変革の中で最も苦労したのはどのようなことでしたか?
・変革が上手く行ったきっかけみたいなものはありましたでしょうか?
・ヨリタ歯科では感動クリエイターということで院内にパソコン関係専門のパートの方がいらっしゃいますが、 普通の歯科医院なら「無駄」と思うことをあえてやられているのは何故ですか?
また、その効果を教えてください
・ヨリタ歯科のスタッフの皆さんは感動クリエイターだけでなく、
スタッフ一人一人もイラストレーターを駆使することが出来たりしますが、
どうしてそのようになったのでしょうか?
・ヨリタ歯科クリニックさんの待合室には本当に多くのリーフレットが置かれてますが、
このようなリーフレットの効果をどのように考えられてますか?
・ドクターも患者様に対する応対がとても良いのですが、寄田先生はドクターに対して、
どのようにして応対面などの教育をされているのですか?
・カウンセリングの仕組みはどのようにされてますか?
・初診カウンセリング、セカンドカウンセリング、補綴コンサルにおいて重視していることを教えてください
・ヨリタ歯科のドクターは吉田先生がウルルンに行ったり、永井先生がベネッセの歯の顧問になったり、
吹田先生がコーチングの分野で活躍したり、どうして勤務医の先生が単に診療をするというだけでなく、
一人一人の分野を確立して活躍していくのでしょうか?
と、こんな感じで延々と、しかもだんだん本質にせまります。
ということで、私も岩渕さんも完全燃焼した3時間でした。
対談CDの発売が、今から楽しみ(しかし、不安はありますが)です。
発売時期などは改め詳しくご報告します。
<収録中、緊張しっぱなしの 寄田幸司 >